熊野かいどう(熊野古道)
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[ひとこと]
日頃、地元のトレーニングジムでストイックに鍛えているので、たまにはのんびり熊野街道を散策してみるのもいいかなと思い、骨休めも兼ねて和歌山へ。
毎日の鍛錬の甲斐あって、足腰は痛くなることもなくガンガン歩けるのだけど、思った以上に長い。あまりにも道程が長い。長過ぎて「俺、何でこんなことしてるんだっけ?」と何度も思った。すれ違うおばあさんがこちらを急に振り向いたりしてたので、ひょっとすると思うだけではなく、無意識に口にしてたのかもしれない。
まだまだ修行が足りないようです。

高齢者向けデイサービスは、そこに住むのではなく、自宅からサービス施設に行き、そこで半日過ごすサービスです。週に2~3回、あるいはそれ以上利用する方も多くいらっしゃるため、日々のほぼ全てがデイサービスという方も少なくありません。
最近のデイサービスや老人ホームでは、入居者が楽しく過ごせるように、バラエティに富んだレクリエーションが用意されています。
人気が高いのはカラオケですが、それ以外でも、脳を活性化する効果が近年着目されている麻雀やパチンコ等も、ギャンブル的要素を排除した上で実施されている場合もあります。
その他にも、純粋に楽しむためのレクリエーションとして陶芸教室、フラワーアレンジメント、俳句や園芸、書道、料理や絵画教室、編み物などの手芸を実施している老人ホームもあるようで、老後もなかなか充実しているように思えます。

写真の印刷は近所のキタムラにずっと出していた。やはり専門業者に頼むと鮮明にプリントしてくれる。
だから何の不満もなかったけど、友人から「ネットで発注した方が安いよ。結果も悪くないし。」と言われ、試しにプリント専門業者に注文してみた。
少し専用ソフトの使い方に戸惑ったけど、すぐに慣れた。送料はかからないのが嬉しい。
程なく送付されてきた結果をみると、確かにきれいで、発色もいい。何の問題もない。
多少時間はかかるものの、自宅で気軽に発注できることと、価格的メリットがあるので、これはいいサービスだなと感じた。

息子は左利きだ。何かと不便だと思い、右利きに矯正しようとしたが、じいじが強い左利きでそれが遺伝したのか、かなり左が強い感じだったので、直すのは諦めた。「左利きは天才肌が多い」というし、野球でも左打ちの方が1塁に近くていいというメリットもある。息子が野球をするようになるかどうかはわからないが・・・。
ただ、電車の改札で切符を入れる際にやりにくかったり、横並びに座って食事する時に横の人に腕があたるなどの不便さがあるのも事実。普通なら気にならないハサミなども普通は右利き用なので、郵便局などでぱっと鋏を使う時などに左利きの人は切りにくかったりするらしい。だから、せめて鋏ぐらいは右利き用が使えるように練習させているが、やはり本人には難しいようである。工作キットなどを使って、徐々に馴らしていくつもりだ。

シャンプーの後、昔はリンスをつけて髪をしっとりさせていたが、今はさらさら効果や保湿効果を期待するならトリートメントをつけるのが一般的になってきたように思う。なんとなく、「リンス」という言葉の響きにダサさを感じてしまうのは私だけだろうか・・・。と言っても、かなり長く「リンスインメリット」を愛用してきたのだけど・・・。

医療系ドラマでは海外のDr.Houseが好きだ。病気には色んな側面があり、勘のいい医者にかからないと、誤った診断をされる危険性があることがよくわかる。
国内ではドクターコトーや医龍も面白い。どちらも医学界の内部事情が垣間見えて興味深い。

初めてカーシェアリングの話を聞いた時は「そんなものが流行るわけがない」と思ったが、地域によっては意外とウケていると知って驚いた。車で行くレジャーの予定がある時に事前予約して、使うらしい。「週末に需要が重ならないのか?」とか疑問もあるが、車を一台買って維持する経費(車検代、自動車税、駐車場代など)を考えると、賢い選択なのかもしれない。

不動産情報はネットを活用することが多い。
賃貸にしても、売買にしても、日本全国たいていの地域、エリアの街情報を網羅していて、有用な情報が得られる。

熊野街道

熊野街道(くまのかいどう)は、京から大坂を経て熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣に利用された街道の総称である。紀伊路とも呼ばれた。

説教浄瑠璃の小栗判官にちなみ小栗街道ともいう。当初は、渡辺津から熊野までが一体として扱われたが、近世以後は紀伊田辺を境に紀伊路・中辺路と区分されるようになった。後者の中辺路は、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。

概要

紀伊山地の熊野三山、高野山、吉野・大峯は、古代以来、自然崇拝に根ざした神道、中国から伝来し我が国で独自の展開を見せた仏教、その両者が結びついた修験道など、多様な信仰の形態が育んだ神仏の霊場であり、大峯奥駈道、熊野参詣道、高野山町石道などの参詣道(巡礼道)とともに広範囲にわたって極めて良好に遺存している比類のない事例である。また、それらが今なお連綿と民衆の中に息づいている点においても極めて貴重である。

街道は、摂津大坂の渡辺津(窪津ともいう。大阪市中央区天満橋付近)を起点に四天王寺(大阪市天王寺区)、住吉大社(大阪市住吉区)を経て、和泉国では並行して走る紀州街道(「孝子越街道」)よりも山沿いを通る。瓦屋村(泉佐野市)~和歌山間は雄ノ山峠を経由し、紀州田辺を経て、中辺路または大辺路によって熊野三山へと向かう道筋だった。京からは渡辺津までは淀川を舟で下った。

街道沿いには、熊野権現を祭祀した九十九王子が設けられ、参詣者は参詣道中の無事を祈念しながら熊野三山への旅を続けた。



高野周辺エリア

熊野周辺エリア

吉野・大峯エリア

伊勢路エリア

熊野参詣

平安時代中期ごろから、熊野三山が阿弥陀信仰の聖地として信仰を集めるようになると、法皇・上皇などの皇族、女院らの参詣(熊野御幸)や貴族の参詣が相次ぐようになった。

その嚆矢は907年の宇多上皇とされ、鎌倉時代まで盛んに参詣が行われた。1081年には藤原為房(『為房卿記』)、1201年には後鳥羽上皇(藤原定家著『後鳥羽院熊野御幸記』)、1254年には藤原経俊(『経俊卿記』)が参詣したことが文献に記されているが、白河上皇、後鳥羽上皇などのように何度も参詣する例もあった。

室町時代以降は、上皇や貴族に代わって武士や庶民の参詣が盛んになった。その様子は、蟻の行列する様に例えて「蟻の熊野詣」と言われるほどの賑わいだったという。江戸時代には伊勢詣と並び、庶民が数多く詣でたという。熊野信仰の御利益を説く、小栗判官を題材とした説教本『をぐり』が出版されたり浄瑠璃として演じられたりしたのもこの頃であった。

室町時代以降は、熊野御幸の御師をつとめた熊野修験が参詣経営から後退したため、畿内からの熊野への参詣道が複数成立するようになり、渡辺津から紀伊田辺までを紀伊路、紀伊田辺から熊野本宮までを中辺路と区分するようになった。これにともない、熊野街道の称は熊野へ通ずる街道を全体として総称する、やや曖昧な用語になった(注1)。

(注1)同じく熊野古道のひとつ小辺路も、熊野(街)道と称されることがあるが、歴史的由来からすると浅いものである。

明治以降は熊野への参拝は少なくなり、街道は鉄路の発達や近代的道路の整備などによりその道筋や機能を失っていく。しかし、熊野に近い山間部には、今なお当時の姿を残す熊野古道があり、貴重な歴史的遺産および地元の観光資源として重要な役割を果たしている。

現代

市街地の発達により、大坂や堺では当初の街道筋が失われている部分もある。また、九十九王子も、熊野詣の衰退によって失われたり場所がわからなくなったものが少なくない。大阪市阿倍野区に府内で唯一現存する阿倍王子神社がある。

平成に入ってから、健康志向の高まりや紀南の観光振興の動きから、熊野古道へのハイキングなどが多く企画されるようになった。代表的なイベントには、1999年、南紀熊野地域の16市町村(当時)が開催した「南紀熊野体験博」(4月29日 - 9月19日)がある。

大阪市、堺市では、歴史資源・観光資源として顕彰するため、平成に入ってから行政がかつての街道筋に案内板や道標などを設置している。

現在では、国道42号 和歌山 - 田辺 - 新宮 - 津(但しバイパスを除き、バイパスのある区間は旧道を指す)を熊野街道と呼ぶことも多い。



関連項目

上町台地
熊野三山
熊野古道 紀伊路 / 中辺路
九十九王子
雄ノ山峠孝子峠
美しい日本の歩きたくなるみち500選
大阪府道30号大阪和泉泉南線