引作の大楠(ひきさくのおおくす)は、三重県随一の圧倒的な太さを誇る楠の巨木です。幹まわりは十五・七メートル(石垣の上の高さで測った値)、高さは約四十メートル、そして推定樹齢は千五百年を数えます。ただ大きいだけではなく、この木には、失われかけた命を人々が守り抜いた物語が宿っています。
伐採の危機と南方熊楠
明治四十四年、引作神社が近隣の神社へ合祀されることとなり、境内にあった二本の巨大な杉と、この楠の巨木も伐採されることになりました。しかし、これほど立派な木を切ってしまうのはあまりに惜しいと、伐採の中止を望む声が広がります。それを聞きつけた博物学者・南方熊楠(みなかたくまぐす)は、民俗学の第一人者・柳田国男に書簡を送り、柳田は当時の三重県知事へ伐採を止めるようはたらきかけました。こうして、大楠は命をつなぐことができたのです。神社合祀にともなう自然破壊に警鐘を鳴らした熊楠の運動を象徴する木として、今日その名は広く知られています。
今もそびえる巨木
この大楠は、平成二年に「新日本名木百選」に選ばれました。二〇〇七年の暴風雨で主枝の一本が折れる被害に遭いましたが、それでもなお、その巨大さと迫力は少しも変わることがありません。木陰に立って見上げれば、千五百年という時間の重みが、静かに伝わってきます。花の窟神社とともに、熊野の自然信仰の奥深さを感じられる場所です。自然保護の歴史については南方熊楠(ウィキペディア)もどうぞ。